社会人野球の日本一を決める都市対抗野球大会で最多優勝回数を誇るENEOS野球部で優勝に大きく貢献するなど活躍した選手が直面した現役時代とのギャップ、競技を離れたからこそ見えたものから、現在そしてV戦士が描く未来などに迫ります。ニッポン放送の朝の顔、ラジオパーソナリティの上柳 昌彦さんによるENEOS社員へのインタビュー第3弾の2人目は、2013年・2022年と2度の都市対抗野球優勝を経験し、代表決定戦ではサヨナラホームランを放つなど、4番や主将として11年にわたり活躍。現在はENEOS株式会社の関東第二支店で営業担当として活躍されている山﨑 錬(やまさき れん)さんです。
※「ENEOS VOICE」は、音声でENEOSグループの事業やビジョンなどをお伝えするコンテンツで
文字を読むのはちょっと…という方もお気軽にぜひお聴きください。
この記事の目次
・上柳 昌彦(うえやなぎ まさひこ)さんのプロフィール(右)
1981年4月にニッポン放送入社。1983年から「オールナイトニッポン」月曜2部を3年間担当。さらに、タモリ、笑福亭鶴瓶、テリー伊藤らのアシスタントとして活躍。定年退職後も、ニッポン放送の早朝番組『あさぼらけ』のパーソナリティを務める。他局への出演も増え、局の垣根を超えた “ラジオの人”として活躍中。
・山﨑 錬(やまさき れん)さんのプロフィール(左)
1990年生まれ・東京都出身。慶應義塾高校で46年ぶりの夏の甲子園に出場、ベスト8。慶應義塾大学を経て2013年ENEOS入社。都市対抗野球で2度優勝など、11年にわたり活躍の後、2023年シーズンをもって引退。高校・大学・社会人の全カテゴリで主将を務める。現在は、ENEOS株式会社で、営業を担当。
都市対抗野球優勝(2度)もけがも経験した、11年間のENEOS野球部人生

上柳:ラジオパーソナリティの上柳 昌彦です。普段はニッポン放送の早朝のラジオ番組「上柳 昌彦 あさぼらけ」という番組を担当しています。早朝ということで、「年配の方が早起きして聴いているんだろうな」と思われるかもしれませんが。実にいろいろな方が聴いていらっしゃいます。遠距離通勤の方ですとか、お子さんのお弁当を作るお母さん、お父さんもいらっしゃいますね。あとは、3時間おきの授乳をしている若いお母さんもいらっしゃいます。いろいろな方が、いろいろな事情で聴いていらっしゃる。そういった方々に毎日放送をお届けしています。さあ、この企画では、ENEOSのさまざまな人に注目して、その声を伺っている「ENEOS VOICE(エネオス ボイス)」。今回は、ENEOS野球部でアスリートとして活躍し、今はさまざまな部署で活躍している方にスポットを当てます。私の目の前に座っている方は、メガネをかけてシュッとしていて、「野球部だったのかな」という感じなんですが、いろいろ伺ってまいりましょう。「ENEOS野球部で培った力を次のステージへ」。では早速参りましょう。
上柳:改めまして、ラジオパーソナリティの上柳 昌彦です。今回のゲストは、ENEOS株式会社 関東第二支店 営業一グループの山﨑 錬(やまさき れん)さんです。よろしくお願いいたします。
山﨑:よろしくお願いします。
上柳:プロフィールをご紹介いたします。大変なプロフィールの方です。山﨑 錬さんは1990年生まれ、東京都のご出身。少年時代から野球を始めまして、2008年、慶應義塾高校でキャプテンとして46年ぶりとなる夏の甲子園出場を果たし、ベスト8入りに貢献しました。そして慶應義塾大学でも野球部のキャプテンを務め、2013年にENEOSに入社。野球部の主力として活躍し、キャプテンも務めました。都市対抗野球で2度優勝に輝くなど、11年にわたる活躍の後、2023年シーズンをもって引退されました。現在はENEOS株式会社で、神奈川県内を中心とした営業の仕事を担当されています。ということで、山﨑 錬さんです。よろしくお願いいたします。
山﨑:よろしくお願いいたします。
上柳:慶應義塾高校の時に甲子園に行って、ベスト8、キャプテン。そして大学でもキャプテンで、リーグ優勝も2回ぐらいされていますよね。
山﨑:そうですね。2年生の春と、3年生の春、2回優勝しました。
上柳:同世代のプロ野球選手だと、どんな方がいらっしゃいますか。
山﨑:現在、東北楽天ゴールデンイーグルスの浅村栄斗選手や、あと、福岡ソフトバンクホークスの東浜 巨選手です。特に、私自身が夏の甲子園に出場した時に優勝した大阪桐蔭に浅村選手がいました。
上柳:すごい世代ですね。東浜 巨選手は、大学の時にピッチャーとして投げているのを東京ドームで見たことがあるんですけども、学生の時からすごいなと思いました。
山﨑:いいピッチャーでしたし、春の選抜で沖縄尚学が優勝したんですが、その時のエースが東浜選手でした。
上柳:そうかそうか。さあ、そして大学を卒業してENEOS野球部に入りますが、そのENEOS野球部時代を今振り返ると、一番の思い出というと、どんなことがありますでしょうか。
山﨑:はい。社会人野球にとって、都市対抗野球は特別な大会で、選手たちはその舞台での優勝を目指して日々練習に励んでいます。中でも、入社1年目の2013年と、10年目、2022年の都市対抗野球優勝は特に印象に残っています。
上柳:そうでしょうね。
山﨑:そして、2021年の都市対抗野球予選の第二代表決定戦で、私自身、サヨナラホームランを打ちまして、チームを都市対抗野球出場に導けたことも、今となっては忘れられない思い出です。
上柳:高校時代も東海大相模との地区大会で、延長11回?にダメ押しのホームランを打ったんですよね。
山﨑:そうですね。延長13回の表に、ツーランホームランを打ちました。
上柳:そういう時の選手の心理状態って、どういう感じなんですか。この「決めなきゃいけない」という場面で。
山﨑:「ゾーンに入る」とよく言いますけども、本当に集中していて、応援も聞こえないような、そんな雰囲気のそういう打席になっていますね。
上柳:なるほど。第二代表決定戦でのサヨナラホームラン、すごいです。社会人野球で11年活躍されたということで、かなり長くやられたなと思いますが、けがで苦労された時期もかなりあったみたいですね。
山﨑:山ほどあります(笑)
上柳:山ほどありますか(笑) どんな感じですか。
山﨑:特に入社2年目。都市対抗野球3連覇がかかった直前の大会で、デッドボールを受けまして、骨折しました。左の腕なんですけども。そこに148キロぐらいのストレートが当たりまして。
上柳:当たった瞬間、「これ骨折だ」とか、わかるものなんですか。その痛みで悶絶ですか。どんな感じだったんですか。
山﨑:わかりますね、やっぱり。もう当たった瞬間に「これはもうダメだな」と感じたのを、今でも覚えています。あとは4年目。膝の靱帯を西関東予選、都市対抗野球の予選で切ってしまって、そのけがはその後もずっと尾を引いてしまいました。
上柳:靱帯の断裂って大変だと思うんですけども、どういう状態でそういうことになってしまったんですか。
山﨑:あれは都市対抗野球の予選の1回戦、初戦ですね。私が打ってファーストベースに走っている時に、ファーストが捕って私にタッチをしに来たんです。その際に、そのタッチをかいくぐろうとしてヘッドスライディングをした時に、左膝を強く打ち付けまして、後十字靱帯を断裂してしまいました。
上柳:じゃあ、もう試合は当然出られないですよね。
山﨑:そうですね。その後、都市対抗野球予選の最後の一枠をかける試合で、9回ツーアウトから代打で出まして、
上柳:代打で出た!
山﨑:はい。ライト前ヒットを打ったんですけれども、走れなくてですね…
上柳:でしょうね。
山﨑:一生懸命ファーストベースに向かったのを覚えています。あの時は、なんで打てたのかもわからないんですけど。
上柳:いろいろな経験をされています。そんな山﨑 錬さんですが。選手として、当然いつかは引退ということになるわけですけれども、それを決めたきっかけというのはいろいろあったんでしょうね。どんなことがあったんでしょうか。
山﨑:当時のENEOS野球部の大久保監督から「今年で引退だ」と言われたことがきっかけでした。
上柳:監督から言われるんですか。自分で、ではなく。
山﨑:そうですね。私、その年の最後の大会も4番を打っていましたので、もしかしたらもう1年できるんじゃないかなという思いもあったんですけれども、大久保監督に「今年でおしまいだ」というようなことを言われて。
上柳:小学校の時からずっとやってきた野球。「引退だ」と言われたその瞬間、何を思いましたか。
山﨑:最初にやっぱり頭に浮かんだのは、小学生の頃から続けてきた野球がこれで終わるんだなという、寂しさですね。それがこみ上げてきたのを今でも覚えています。でも、恵まれた環境で思い切り野球をやらせていただいたので、野球に対する未練はありませんでした。今後は社業で会社に貢献しようと、そういう思いでした。
入社12年目の“新入社員”。ENEOS野球部の主将がゼロから始めた営業の仕事
上柳:そうか、切り替えたんですね。さあ、そして毎日野球をするという生活から、今度は仕事ですね。スーツを着て、場合によってはネクタイを締めることもあったかもしれませんが、一番苦労されたことって、今考えると何でしょうか。
山﨑:はい。他の社員とのギャップを埋めることでしょうか。ENEOS入社12年目にして社業に就くことになりましたので、他の同期の社員には11年分の経験があります。これまで野球の世界ではあまり触れることのなかった言葉や考え方もやはり多くて、まずはそれを理解するところから始まりました。
上柳:言葉とか、普段の生活では使っていない、独特な業界の言葉みたいなものがいろいろあるんですか?
山﨑:やはりありますね。例えば前年の実績のことを「前年の背中」と言ったりとか。「背中が大きいよ」みたいなことを言われた時に、「背中が大きいってなんだろう?」みたいな。
上柳:前年の実績のことを「背中」と。「背中が大きい」ってことは、前年の実績が大きい、ハードルが高いよと。なるほどなあ。
山﨑:はい。
上柳:野球部に所属している時には、報告などで時々会社に行くことはあるということなんですよね。
山﨑:そうですね。月に4回ぐらい出社しておりまして、朝の9時から11時ぐらいまで出社をしていました。その際に「次はこういった大会が控えておりますので、ぜひ応援よろしくお願いいたします」といった声かけをしておりました。
上柳:実際にデスクワークをするとか、営業で外に出るとか、そういうことではないんですね。
山﨑:そうですね。
上柳:それはやっぱり、同期と比べてブランクがありますよね。本当に新入社員としてやるしかないんですよね。そういう新しい生活の中で、どんな方々に支えてもらったなと、今振り返って思いますか。
山﨑:やはり会社の先輩方、同期、後輩、本当に多くの方に助けてもらいました。営業の仕事を担当することになった時に、年齢に関係なく、先輩にも、もちろん後輩にも「わかりません。教えてください」と言えないと、仕事も前に進んでいかないなと思ったんです。野球部の時も先輩や後輩から学ぶことがたくさんありましたので、野球から仕事に変わっただけだと、そういうふうに理解しました。
上柳:当然、その現場には野球部のOBの方もいらっしゃったと思うんですけども、そういった方から何かアドバイスみたいなものはありましたか。
山﨑:私が最初に配属された部署で、自分の席の両隣が野球部の先輩だったんですよ。本当にあの2人の先輩にはお世話になりましたし、困った時に野球部の先輩が隣にいるというのは心強かったです。
上柳:さあ、今の具体的なお仕事。関東第二支店 営業一グループ、どんなお仕事をされているんですか。
山﨑:主に神奈川県内のサービスステーションを運営されている特約店さまへの営業です。ガソリンなどの燃料油の販売やENEOSカーリースなどのご提案を通じて、地域の皆さまの「今日のあたり前」を支えながら、「明日のあたり前」をリードしていけるよう、特約店さまの力をお借りしながら販売活動を行っています。営業とはいえ、特約店さまをサポートして経営に携わっていく、そういったイメージですね。
上柳:外を回って歩くということも多いんですか。ちょっと日焼けをされているんでね。
山﨑:あります。はい。
ENEOS野球部で培った日々の積み重ねを大切に次のステージへ
上柳:ENEOS VOICE。さあ、山﨑さん、現役時代と現在の一番の違いって何でしょうかね。
山﨑:現役時代は、勝った、負けたという結果が毎日はっきり出る世界でした。一方で、今の仕事は、すぐに結果が見えることばかりではないのが大きな違いです。ただ、信頼関係を築くために日々の積み重ねを大切にすることは、野球と同様、とても大切なことなんじゃないかなと感じています。
上柳:お仕事をされていて、「やっていてよかったな」と思うことってありますでしょう。どんなことがありますか。
山﨑:そうですね。地域の皆さまの生活を支える特約店さまから「ありがとう」と言っていただけた時は、本当に仕事を頑張ってきてよかったなと感じますし、やりがいも感じます。営業の仕事なので、直接、特約店さまの声を聞くことができるのはありがたいなと感じています。
上柳:ちなみに、今、お休みの日なんかはどんなことをされているんですか。
山﨑:今はですね、休日は5歳の長男と2歳の長女と過ごす時間を大切にしています。家族と過ごす時間は本当にかけがえのないもので、現役時代とは生活のリズムは変わりましたけども、今までと同じように子どもたちからたくさんのパワーをもらっています。
上柳:お子さんには野球をしてもらいたいなという気持ちはありますか
山﨑:そうですね。まだ5歳なので、わからないですけども。ただ、家にはバットとボールとグローブを置いてます。
上柳:さあ、どうなるかな。改めて、野球部での経験というのは、どのような形で生きていると思われますか。
山﨑:2度の都市対抗野球優勝を経験させていただいた大久保監督は、「愛」というのをテーマにされていました。今も私も、それを大切にしようと思っています。会社への愛、特約店さまへの愛、そして組織や人を強く思う気持ち。それがあるからこそ、見えてくることや気づけることもたくさんあるのではないかなと感じています。また、ENEOS野球部OBとしての自覚も、今の自分の大きな支えになっています。
上柳:野球部時代と、今、社業に就いて仕事をしている。その両方を経験してみて、社員の立場から見るENEOS野球部って、どんな存在でいてほしいなと思われますか。
山﨑:社員がENEOS野球部を誇れる存在でありたいなと思っています。そのためには、ENEOSが大切にしたい価値観として掲げる「挑戦」「向上心」というキーワードを体現し、理念を実現する存在であることが必要です。また、社員の一体感を強くし、明日への活力を届けたいです。
上柳:応援席の社員の皆さんの一体感というのはすごいですもんね。
山﨑:本当にありがたいですね。
上柳:さあ、おしまいにですね。もしも、現役時代の自分に今、声をかけられるとしたら、山﨑さん、どんな言葉をかけてみたいですか。
山﨑:そうですね。「これから先、魅力的な方々にたくさん出会えるぞ」と、そう伝えたいですね。引退直後は不安でしたけれども、その先には新しい出会いや学びがたくさん待っていると思います。
上柳:はい。ということで、会社でのお仕事、そしてご自宅ではお父さんとして。これからもますます良い人生を歩んでいただきたいと思います。ENEOS株式会社 関東第二支店 営業一グループの山﨑 錬さんにお話を伺いました。どうもありがとうございました。
山﨑:ありがとうございました。
上柳:お相手はラジオパーソナリティの上柳 昌彦でした。
まとめ
山﨑 錬さんは、ENEOS野球部で11年間プレーし、都市対抗野球で2度の優勝を経験し、けがを乗り越えながら主将としてチームを支えました。引退後は営業職に転身し、同期との経験差や業界特有の言葉への戸惑いなどに苦労したものの、周囲に教えを請いながら成長を続けています。野球で培った日々の積み重ねや人との信頼関係を大切にする姿勢は現在の仕事にも生きており、地域の皆さまの「今日のあたり前」を支えながら、「明日のあたり前」をリードしていけるように新たなステージでの挑戦を続けています。新たな舞台で紡がれるこれからのストーリーにも目が離せませんね。



